書 名 | 著・編者 | 発行年 | 内 容 等 |
三重県三重郡誌 | 三重郡教育委員会 | 1917 | 履歴書 |
三重県植物誌・下 | 伊藤武夫 | 1932 | 先輩の面影 |
博物研究雑誌48 | 土井久作編 | 1940 | 交友社博物会について |
三重教育548 | 土井久作編 | 1944 | 尾張本草学と伊勢国 |
三重教育551 | 土井久作 | 1944 | 大博物学者鎌井松石先生 の業績 |
日本昆虫学会誌 | 土井久作 | 1947 | 鎌井松石の虫譜 |
採集と飼育10-1 | 土井久作 | 1948 | 本草家鎌井松石先生 |
三重県史 別編 | 小玉道明編 | 1996 | 影印三重県博物図稿 |
氏名 | 出身地(生年) | 専門・業績 |
伊藤圭介 | 尾張・名古屋 生家は医者 (1803年) |
1822・・京都に遊学 1828・・長崎でシーボルトに植物学を学ぶ 1852・・種痘法を確立 1868・・愛知県に医学校建議(名大医学部の前身) 1881・・東大教授 1888・・初代学士院院長 |
田中芳男 | 信州・飯田 兄が漢方医 (1838年) |
1852・・名古屋で伊藤圭介の門に入る 1862・・江戸に下り、幕府の蕃書調所に出仕 1867-72・・パリ・ウィーン万博の責任者 上野博物館設立に寄与 元老院議員、大日本山林会会長 |
山本亡羊 | 京都 | |
丹羽修治 | 四日市・大矢知 | |
岡田正堅 | ||
飯沼慾斎 | 大垣 | |
松浦武四郎 | 津 |
郷土の偉人・鎌井松石は、幕末から明治時代中頃にかけて、小山田地区西山町で
医業を営みながら、私塾を開き子弟の教育に努めた。
一方本草学の研究のため、山地幽谷を巡って動植物・鉱物を採集し、得意の絵筆で
模写して数々の稿本を著した。
ここにその業績の一部を紹介いたします。
年号 | 西暦 | 歳 | 業 績 等 |
文化13年 | 1816 | 1 | 現鈴鹿市神戸に生まれる。 |
天保元年 | 1830 | 15 | 京都へ医学・本草学を学びに行く。 |
天保10年 | 1839 | 24 | 郷里に帰り医業を営む。 |
弘化2年 | 1845 | 30 | 現四日市市西山町に移住 この頃から山野を巡り、野草木石を採取・写生する。 |
安政4年 | 1856 | 41 | 「現故漢画名家集鑑」に伊勢松石山人が載る。 |
慶応元年 | 1865 | 50 | 最初の著書「本草正?」32巻(国立国会図書館蔵) |
明治3年 | 1870 | 55 | 最初の地誌「神風古誌」13巻 |
明治5年 | 1872 | 57 | ウィーン万国博覧会の出品物調査を委嘱 |
明治6年 | 1873 | 58 | 現亀山市能褒野古墳の取調巡回 |
明治7年 | 1874 | 59 | 「地誌物産 九重雑志」10冊 |
明治9年 | 1876 | 61 | 内国勧業博覧会御用掛を委嘱 |
明治13年 | 1880 | 65 | 「三重管内博物誌」16冊(国立国会図書館蔵) |
明治15年 | 1882 | 67 | 丹波修治・岡田正堅・瀬木耕一郎らと交友社博物会を設立 |
明治16年 | 1883 | 68 | 「三重管内博物誌」、「本草正?」等文部省に献納 |
明治17年 | 1884 | 69 | 賞勲局より銀杯一個下賜 |
明治19年 | 1886 | 71 | 「三重本草稿」31 |
明治20年 | 1887 | 72 | 「三重本草稿」32,39,43巻、「三重古事記稿」6冊 |
明治21年 | 1888 | 73 | 「三重本草稿」16,「三重本草附録」21冊 |
明治22年 | 1889 | 74 | 「三重本草稿」14,20,25,27,28,34,35,37,38,40,44巻 |
明治23年 | 1890 | 75 | 「三重本草稿」5,36,46,48,49巻 |
明治24年 | 1891 | 76 | 「三重本草稿」50巻、「三重本草博物地誌」50冊 |
明治25年 | 1892 | 77 | 没 |
鎌井松石の人と業績
著書見本
学術調査の行動範囲
松石の紹介文献
(三重県史 別編 自然 影印三重県博物図稿より)
(三重県史 別編 自然 影印三重県博物図稿より)
主な人物との交友