小山田歴史年表

年   代 小山田関係事項・一般事項
(古代) 六名、小山、釆女七郷に属す。
また堂ケ山、六名、小山、山田四邑を六名郷とある(三国地誌)
(平安)
1145 後 期 この頃、光善寺(和無田町)・観音菩薩坐像と持国・増長天立像が造立
この頃、遠生寺(堂ケ山町)・阿弥陀如来坐像が造立
この頃、安性寺(山田町)・十一面観音立像が造立
(鎌倉)
1257 中 期 この頃、暁覚寺(山田町)・釈迦如来坐像が造立
この頃、光輪寺(六名町)・・釈迦如来坐像が造立(市指定有形文化財)
この頃、遠生寺(堂ケ山町)・薬師陀如来坐像が造立
(室町)
1456 志賀摩(鹿間町)は、伊勢因幡入道貞仲の知行地であった
1466 内宮ー禰宜荒木田氏経、志賀摩御厨内の和田・則武・志賀摩散在田に
対する守護の押領を訴え、返還を要求する
1539 志賀摩(鹿間町)散在は松田丹後守晴秀の知行地であった
1567 8.20 織田信長、北伊勢に進攻し楠に到着
1570頃 各地に郷士が出て土地を支配
 (小山・・萩原小太郎、 山田・・矢田監物、  六名・・乗竹某
  堂ケ山・・六名庄に属す)
1590 北勢地方は、織田信雄支配から豊臣政権の直轄地域となり、代官支配となる
1598  水沢村に茶園ができたといわれる
1600 9.15  関が原の戦い 徳川家康、石田三成の西軍を破る
水沢村・小山村・山田村・黒田村、菰野藩領となる
 (小山、山田は菰野土方氏の領土となり、2ケ村としたが小山田と呼ばれた)
1601 三重郡(八王子村・東日野村・小古曽村・大治田村・六名村)が桑名藩領となる
1602 水沢野田村、亀山藩領となる
(江戸)
1603 2.12  徳川家康、征夷将軍となり、江戸に幕府を開く
1674 11.22 中村(六名村)と鹿間村との間で境界に関して争いがおこる、中村は鹿間村の
横暴を江戸幕府に訴える
1676 2.25 鹿間村と北和田村(後の和無田村)との間で野論があり、南小松村他2カ村
庄屋の仲介で解決
1761 堂ケ山村と水沢村との間で、境界に関して争論
1762 堂ケ山村と水沢村の村境をめぐる争いで、野論の絵図を作成、江戸幕府の
評定所に訴える
1764 堂ケ山村と水沢村の境争論で、幕府が裁許
1825 六名村、和無田村・鹿間村と内部川からの取水をめぐり争論となる
1830 幕領に編入された六名村に対し、信楽代官が寛政3年と、文政2年〜文政12年の
家数人別の書き上げを命じ、六名村は記録に基づいて提出
1839 鈴鹿郡深溝村の井溝につき、深溝村と岸田村ほか3カ村(和無田村など)と
争論おこる
1848 堂ケ山村と山田村の間で、山田村の新池造成に関わり境界争論がおこる
1857 六名村の12人、海防御備入用冥加金として7両を信楽代官へ献金
水沢村と釆女村ほか24カ村との間で内部川取水につき争論
1867 山田村の長田幸吉、寺子屋を開き、算術・漢学・習字を教授(明治3年まで)
(明治)
1868 1.9.8  明治と改元し、一世一元の制を定める
1875   8.-.- 山田村本郷(西山・内山を除く)及び六名村組合にて、山田村に山田学校を創立
堂ケ山村に堂ケ山学校を設立
山田村西山及び内山、組合にて小山村に小山学校を創立
1879 12.4.23 六名村の村内官林の下草刈取り願い、許可される
1887 20.-.- 堂ケ山小学校は堂ケ山簡易科授業所、山田学校は山田簡易科授業所、
小山学校は小山簡易科授業所と改称
1889 22.4.1 町村制の実施に伴い、山田村、小山村、堂ケ山村を合し、小山田村と称する
大字山田、小山、堂ケ山、六名となり、役場を大字山田2169番地に設置
西山、内山は山田より移住して発生した小字であった
1897 30.8.1.  四日市町、市制を施行(全国で45番目の市となる、当時の人口25,326人)
1901 34.-.- 小山尋常小学校、山田尋常小学校を併合、高等科を設置し、小山田尋常高等小学校
を創立
1910 43.4.− 小山田小学が新築され、大字山田1901番地に移転
43.10.- 小山田村青年会を設立
1911 44.12.- 小山田村立実業補習学校・農業補習学校を設置
(大正)
1912 1.7.30 明治天皇没(61歳)、東宮嘉仁親王践祚、大正と改元
初期 六名町の「力石」(竹内登さん宅)の位置移り:須賀神社境内で力自慢 重さ75kg
1914 3.6.-  三重紡績と大阪紡績が合併し、東洋紡績を設立、本社を浜町におく
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昭 和 小山田関係事項・一般事項
1926 1.12.25  大正天皇没(48歳)、裕仁親王践祚、昭和と改元
1932 7..12.- 小山田村、救農土木事業として県道・町村道の改修、耕作道用水路等の工事を行う
1933 8.12.- 小山田村、産業組合を設立
1938 13.6.26  名古屋〜四日市〜大阪に電車開通(現近鉄)
1941 16.1.-  第二海軍燃料廠、操業を開始
1942 17.-.- 小山田村役場庁舎を改築
1945 20.6.-  空襲により市街地壊滅(焼失戸数10,478戸、罹災者49,498人)
1947 22.4.15 小山田、久間田の各村に新制中学校が創立
1948 23.7.26 小山田中学校、久間田中学校が合併、三鈴中学校を設立
1952 27.-.- 小山田小学校に県下で最初の小学校のプールができる
27.3.-  現中央通りで四日市大博覧会を開催
1954 29.3.31 小山田村、四日市市に合併
  (山田、小山、六名、堂ケ山、西山、内山、美里町の7ケ町となる)
29.3.31 小山田村役場は四日市市役所小山田支所と改称
29.3.31 村立小山田小学校は、四日市市立小山田小学校となる
29.3.31 三鈴中学校が、四日市市・鈴鹿郡久間田村組合立三鈴中学校と改称
1956 31.4.20 四日市市議会、鵜川原・保々・水沢・竹永・川越村、楠町、鈴鹿郡久間田村の7カ
町村同時合併方針を決定
31.4.25 四日市市、久間田村は7カ町村同時合併の対象とし、椿村とは合併の意志なしと
県に回答
31.12.8 鈴鹿郡三鈴村、四日市市へ合併編入を申し入れ
31.12.14 鈴鹿郡三鈴村鹿間、南小松両地区は、四日市市への分村問題紛糾で、同村東小へ
通う児童93人を一斉休校させる
31.12.19 鈴鹿郡三鈴村議会、鹿間・南小松両地区の四日市市への分村合併問題につき審議、
分村を可決、両地区代表は四日市市に編入を申し入れ
1957 32.1.10 三鈴村和無田地区、四日市市への分村編入合併を申し入れ
32.1.14 三鈴村野田地区、四日市市への分村編入合併を申し入れ
32.1.14 モンサント化成工業(株)、ポリエスチレン工場操業開始
32.1.22 四日市市議会、保々・水沢・川越村、朝日町、鈴鹿郡三鈴村鹿間・南小松・和無田
・野田地区が無条件で合併を申し入れてくれば、受け入れることを決定
32.3.19 三鈴村4地区の四日市市への合併編入を県に申請
32.4.1 鈴鹿郡三鈴村の野田地区が分村、水沢地区に編入
32.4.1 鈴鹿郡三鈴村の南小松が分村、内部地区に編入
32.4.1 鈴鹿郡三鈴村の鹿間、和無田が分村、小山田地区に編入
32.4.15 鈴鹿郡三鈴村の野田地区、南小松、鹿間、和無田が四日市市に合併
32.4.15 四日市市・鈴鹿郡久間田村組合立三鈴中学校が、四日市市の合併により
四日市市立三鈴中学校と改称
32.4.15 小山田支所は小山田出張所と改称
32.10.21  日本合成ゴム(株)、四日市に工場建設決定
32.11.1  昭和石油(株)四日市工場.昭和四日市石油(株)として分離独立
1959 34.3.25 六名町有文書が四日市市指定有形文化財(書跡)に指定
34.3.25 堂ケ山町神明社境内にある「大樟」が四日市市指定記念物(天然記念物)に指定
34.3.25 堂ケ山・水沢野境紛争の判決文書(堂ケ山町)が四日市市指定有形文化財(書跡)
に指定
34.3.30 小山田地区の簡易水道完成
34.9.26  台風15号(伊勢湾台風)襲来、死者115名、災害救助法を発動
1960 35.3.30 鹿間簡易水道竣工
35.4.-  日本合成ゴム(株)四日市工場、操業開始
35.6.9  名四国道、起工式
1963 38.2.16  四日市〜名古屋を結ぶ産業道路 名四国道開通、
38.3.30 六名簡易水道竣工
38.9.26 中部電力(株)、四日市火力第1期工事完成
1966 41.10.26  水沢地区で集団赤痢発生
1967 42.4.1 六名簡易水道、上水道へ統合
1971 46.-.-  県営北伊勢広域営農団地農道(通称ミルクロード)の整備が始まる(56年完成)
46.8.9  東名阪自動車道の四日市〜桑名間開通
1973 48.9.1  国鉄四日市駅と津駅を結ぶ国鉄伊勢線が開通
1974 49.6.1 青山里会が小山田特別養護老人ホーム開設
1975 50.-.- 堂ケ山町、美里町地内に昭和幸福村公園が開園
1976 51.4.1 市立三鈴・水沢中学校を合併し、市立西陵中学校を新設
1978 53.4.1 「四日市市地区市民センター要綱」制定
53.4.1 地区市民センターを小山田、三重、下野、河原田の4地区で試行
1978 53.4.- 南部埋立処分場(小山町)建設着工
1979 54.-.- 小山町公会所完成
1980 55.3.31 小山田地区市民センター移転改築(山田町1373番地の3)
1981 56.12.1 小山田地区社会福祉協議会、青少年健全育成協議会、健康づくり推進協議会が発足
1982 57.8.1  文化会館、安島二丁目に開館(市制80周年記念事業)
1983 58.10.- 堂ケ山町地内を流れる内部川に神明橋架け替え完成
1984 59.8.- 南部工業団地計画にかかる開発推進協議会を結成(畑など30ヘクタール)
1985 60. 西山町農業構造改善センター完成
60. 子供会育成者連絡協議会主催の第1回駅伝競走大会(1チーム男女8名:11km)
1986 61.11.1 ミルクロード開通
61.11.15 山田町に小山田記念病院(8階建 18,680u)開院
61.-.-. 内山町ゴルフ場造成工事が始まる(完成昭和63年)
1987 62.-.- 堂ケ山町構造改善センター完成(163.96u)
1988 63.-.-. 鹿間町構造改善センター完成(208.68u)
63.4.1  四日市大学(公私協力方式)開学
63.8.6 太陽化学(株)、四日市南部工業団地に建設、「南部工場」の起工式
63.-.- 四日市セントラルゴルフクラブ内山町にオープン
(平成) 1.1.7 昭和天皇没(87歳)、皇太子明仁即位、平成と改元(1.8施行)
1989 1.6.- 南部工業団地が竣工、太陽化学(株)や(株)JSRなど6社が立地
1.-.- 和無田町構造改善センター完成(163.96u)
1.-.- 西山町 農村総合モデル事業「農村公園」2,500uの整備が進む
2.8.11 青山里会が山田町に小山田ケアハウス設置
2.-.-  各地区市民センターに「地域社会づくり推進委員会」設置
1991 3.-.- 内山町第二集会所が完成(262u)、内山温泉前
3.-.- 諸団体連絡協議会と社会福祉協議会が統合され、小山田地区社会福祉協議会が
発足(生活福祉部、青少年育成部、保健体育部、文化広報部)
3.6.24 六名町真宗高田派光輪寺の釈迦如来座像が四日市市有形文化財(彫刻)に指定
1992 4.-.- 小山町公会所増築完成
4.9.12  学校週5日制実施
4.12.1  四日市市役所、完全週休2日制がスタート
1993 5.-.- 山田町 高齢者若者センター完成(326u
1994 6.-.- 山田町の八幡山が農村公園に指定(自然の保全と憩いの場)
1998 10.-.- 小山田保育園の閉園(昭和27年に暁覚寺の境内に中澤龍渓氏が創立)
10.-.- 六名町集会所が完成(146u)
1999 11.-.- 鹿間町の内部川にかかる「鹿間橋」が完成
2000 12.11.- 山田町に小山田グループホーム(痴呆対応型老人共同生活援助事業)がオープン
12.12.22 県環境保全事業団の「廃棄物処理センター」(小山町に設置)について
県が設置許可
12.12.27 「廃棄物処理センター」の建設計画に反対の住民、署名を知事に提出
2001 13.-.- 鹿間町の農業集落排水 操業開始
13.4.27 山田町の 小山田特別養護老人ホームがリニューアル(200床)
13.-.- 鹿間町の県道、小林・鹿間線の拡幅と歩道整備工事は、全長400mのうち200m
が完成(15年度完成予定)
2002 14.10.1 南消防署 西南救急分駐所が完成
2005 17.2.-  四日市市と楠町が合併
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年 代 時代区分 小山田関係事項・一般事項
  原人が出現
100万年前 鈴鹿山脈が隆起、 一志断層が活動
蓮華寺累層を堆積、蓮華寺面を形成
水沢最古期扇状地を形成
前 期   旧人が出現
水沢古期扇状地を形成
高位段丘下位面を形成
 15万年前 水沢中期扇状地を形成
  5万年前 古伊勢湾層が堆積
  3万年前 伊勢神戸層が堆積 低位段丘下位面を形成
  2万年前 後 期   新人が出現
内戸谷B遺跡(美里町)・宮蔵遺跡(山田町)
 最終氷河期の極寒冷期 ナウマン象滅亡
 最終氷河期の終結
 細石刃を含む石器文化の発達
10,000年前 四日市港層が堆積
草創期 東北山A遺跡(上海老町)・中尾山遺跡(山田町)など有舌尖塔器
 隆起線文をもつ土器が作られる
 縄文文様が使われる
 弓が発明され、石鏃が使われる
 竪穴住居で小規模な集落を形成する
7,000年前 一色山遺跡(堂ケ山町)の有舌尖塔器・石鏃
早 期  撚糸文様をもつ尖底土器が流行
 西日本で押型文様の土器が流行
4,500年前 前 期  縄文文様が定着し、平底土器が一般化する
 木製品の加工技術が発達
3,000年前 中 期 東条遺跡(水沢町)
 石棒・土偶などの呪術的道具が増加
2,000年前 後 期 東保林遺跡(水沢町)
 麿消縄文が流行
1,000年前 晩期 西野遺跡(南小松町)
  300年前  弥生土器が作られる
 水稲耕作が全国に広がる
0  銅鐸などの青銅器を使った祭祀が行われる
 鉄器の生産が増大
  300年  土師器が作られる
 首長の墳墓である前方後円墳・円墳・方墳が築造され始める
 朝鮮半島から須恵器の製作技法が伝わり、全国に広がる
 600年 和田ケ平古墳群(山田町)・青木川古墳群(水沢町)などの郡集積
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